黒井千次

年齢相応に老いていくことの困難な時代が到来した。若さや体力ばかりが尊重され、歳にふさわしい生の形が見失われようとしている。幼年期や思春期や壮年期に、それぞれの季節にだけ稔る果実があるのだとしたら、老年期には老年の、老いに特有な美しい木の実があっても少しもおかしくはない筈だ。そしてかって存在した老いの形とは、その実を収穫するための身構えでもあったのだろう。 幼い孫を連れて遊びに来た息子や娘の一家を送り出す休日の夕暮れの光景は、平和で心和む眺めである。と同時に、ふとなにかの欠けてしまったような危うい気分を誘い出されるのは、そこに老いの形がはっきりとは認められぬ故であるような気がする。